Modernistic Caravansary
現代版キャラバンサライ構想
[キャラバンサライとは?]
キャラバンサライと聞いてすぐにピンとくる人々はあまり多くはないかもしれません。 少なくとも日本史には出てきません。
しかし世界史を勉強された方はどこかで一度この名前を目にしたことがあるはずです。
キャラバンサライとは隊を組んでシルクロードを行き来する商人や旅人達の為にシルクロード上の各地に建てられた宿のこと。
現代に置きかえればホテル、旅館となります。
「宿」とこう簡単に言ってしまうと何てことなく聞こえてしまいますが、歴史上でのキャラバンサライの役割に目を向けるととても重要な機関であったということがわかります。
[シルクロード]
キャラバンサライを知る上では切り離すことのできない世界で最も有名な道、シルクロード(絹の
道)。
19世紀のドイツの地理学者リヒトホ−フィンによって名づけられたこの道は東洋と西洋 を結ぶ物資交易のルートでした。
そして同時に文化(知識、技術等)の伝達と様々な人的交流 に大きな役割を果たしたことで知られています。 東は日本を含む中国文化圏。西はギリシャ、ローマの地中海文化圏。そして中央に位置する
ペルシャ、インド文化圏。と言った地球規模の壮大な文化交流を実現させたこの道は、現在では東西文化交流の象徴として用いられることが多いようです。西洋ではどちらかと言うとマルコポーロを文化交流の象徴するそうです。確かに交流するのは道ではなくて人間です。
それに人間は道端であまり文化交流などしないもの。(あるかもしれないけど。。)
[文化の交流]
旅の途中で身体を休めた、ひとときの休息の合間、リラックスムードの中
で元気を取り戻した旅人はお喋りになったり、好奇心があふれ、時間を割いてちょっと交流でもしましょうかという気になったのではないでしょうか。 キャラバンサライとはきっとそういった存在だったはず。旅人を保護し、物資の交易を助け、現地人と異国人との文化(知識、情報、技術)の交流を世界規模で可能にしたのがこの
キャラバンサライの果たした役割なのです。先人たちが築き上げた大いなる人類の遺産と言え ます。
ところで話しは変わりますが私(富澤 守)は縁あってユーラシア大陸(アジア〜ヨーロッパ間)を1995年〜1998年の間、陸路で年に1回、合計3回横断した経験があります。
通った道が正式な シルクロードかどうかは知りません。ただ東と西が実に安易に道で繋がっていることを実体験 しています。そしてこのシルクロードという品格のある名前の道が実は生活臭いただの道であることも十分認識しました。
そして移動の道すがら幾度となくキャラバンサライの遺跡を見学する機会を得ました。
見学し たもののうちで何件かは博物館として綺麗に修復されていました。砂漠の真中にありながら
中は涼しく広々として、アーチ上の天井を持つ大きな部屋がいくつもありました。ここで様々な 国の人々が移動手段としてのラクダなどとともにチェックインし旅の疲れを癒していたんだ――――と思いをめぐらせました。
キャラバンサライの建設の目的は先述したように旅人を保護するためのものですが、 ビジネスとしての意味合いも当然ありました。旅人が得る休息と安全の代償として徴収する宿代。これが当時大変貴重な財源となったそうです。いつの時代も同じです
ね。 全ては必要からうまれました。
現在このキャラバンサライ本体の必要性はないのでしょう。現代の地球上には無数のホテルが存在し世界中への旅行が可能な時代です。人類は数千年かけ
て陸上海上のシルクロードのみならず空の道までも開拓し、古代人が想像すら出来なかったであろうスピードで世界中の文化圏との交流を可能にしてしまいました。
しかしそれに平行して交易と文化交流は世界にとってますます重要な課題となっています。特 に国家間相互理解は一向に進んでいないような気がするのは私だけでしょうか?
何故なのでしょう? それは移動のスピードが速くなっただけで自分の足で歩いていないせい。 つまり理解に必要な時間をかけていないと言えなくはないでしょうか。
先人によって開拓されたシルクロードとそれを支えたキャラバンサライはその役割において現代人によって新しく現代に対応する形に姿を変えて存在し続けなければならない言わば終わることのない「人類の道」と言えるのかもしれません。だからこそ人々はいつまでもこの道の名前を
忘れず、「夢」(過去と未来)を描くのでしょう。
私はユーラシア大陸をバスでとことこ横断しながらこの陸路でののんびりペースの旅というの
が一つの国をより深く理解するのに適度なスピードである事を実感しました。国家間相互理解 とはまさにこのペースの繰り返しにより実現されるのではないかと真面目に信じています。そし
てこれをもっと一般的なものにするには何が必要なのか考え続けました。 考えながら幾度となくキャラバンサライを思い出しましたが、異国間を移動する上でもっとも頼
りになるもの、それは建物よりもまず第一に「言葉の壁を無くす信頼のおける連絡先」です。
それが各国にたとえ小さくとも一つだけあれば十分に機能するはずです。
そしてその役割を果たす機関として最もふさわしいものが営利第一の旅行会社ではなくその国の文化を伝える「学校」ではないだろうかと結論を出しました。1996年のことでした。
そして5年後。これがOverlandclub設立の最初の原案となりました。 現代版キャラバンサライとはその役割において現代最も注目されるべく文化的交流に焦点を
絞った機関として形にしたものです。長期短期を問わず現地に立ち寄る旅人の生活の安全を 助けると共にその国を少しでも深く理解できるように現地の文化を体感による知覚学習を可能
にする役割を担うと同時に、その国の発展の為に他国の文化(知識、技術)を伝搬の手助けを することが目的となります。
キャラバンサライ構想とは極東日本と西洋の間に存在する全ての国に交流の拠点を作ると言う趣旨の企画です。
この企画を進めるにあたり出来るだけ多くの方々の意見とご協力が必要となります。
ご意見ご感想を心よりお待ちしております。
キャラバンサライ構想はリンクフリーです。 構想にご賛同いただけるかたのご連絡をお待ちしています。
2001年 Overlandclub 富澤 守
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